ど素人だった私が自宅でプチ起業した話♯3

ど素人がカイロ(エステ)サロンを作るまで
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さて、というわけで、資格を取得した。

もちろん、会社には内緒で。

別に正直に話しても良かったんだけど、そんなことやる前に営業成績をだせ!と言われそうだったので、最初は内緒にしておいた。

その時点ですでに、5年間営業の仕事をしていたけれど、営業のスキルを身につけきれていなかったのと、お客様に申し訳ない気がしてとにかく10年間はやろうと思っていた。

「何事も10年間頑張れば、1流」と言った誰かの言葉を頼りに。

カイロプラクティックはその間、副業半分で、修練しようと考えた。

そこから、約5年間、迷いながら、カイロプラクティックの修練を重ねた。

母や母の友達を見させてもらい、月々の勉強会に参加した。

母や母のお友達を見させてもらうのは主に土日。

最初は、骨盤てなあに?くらいの勢いだったが、そのうち、体のいろんなことがわかるようになってきた。

カイロプラクティックを実践するうちに、自分の体調も、母の体調もどんどんよくなった。

そのうちコロナになり営業の仕事は少しずつ危うくなってきた。マーケットを使い尽くしてきたという方がしっくりくるだろうか?

上司も変わった。上司からのパワハラも受けた。

控えめに言っても彼女はひどかったから、精神的にはボロボロだった。

コロナになったその年、もう最後の最後に、もう一度確かめようと思って、保険の営業の仕事を頑張った。

いろんな意味でもう無理だとわかっていたけど、お客様がいてくださるから、彼らをなんとか守りたいと思って頑張った。

試行錯誤したけど、結論は同じ。状況的にも、精神的にも「カイロプラクティックに移行せよ。」だった。

カイロを本業にするにあたって、準備をしておくべきことがあった。

それは美容の資格をとっておくことだった。

ヒトの生理的湾曲や、骨盤を整え、さらにエステティックをほどこすことで、わかりやすく結果が出る。

そしてこの美容カイロプラクティックの技術は、本場米国のカイロドクター達も羨むような技術だ。

なぜかというと、日本ではカイロプラクティックは民間療法で、エステティックも国家資格ではないから。

本場、米国のカイロプラクターは国家資格だから、エステティックの技術を行うことはできないし、

本場、フランスのエステティシャンは同じく国家資格だから、カイロプラクティックの技術を行うことはできない。

このエステティックとカイロプラクティックを融合した技術をすることができるからこそ、私はこれはブルーオーシャンだ!と判断したのだから、会社にいるうちになんとかやり遂げなければ!と思い着手した。

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