独学大全を読み返している。
この、カルテクセジュの項目を読み返した、
私たちは知らないことを知りたいと願う。
けれども、「知らないことすら知らないこと」、「その存在すら認識してない」ということがある。
《探索のパラドクス》
【あなたが探しているものを知っているなら探す必要はない】
【あなたが探しているものを知らないなら探すことはできない】
【それゆえあなたは探索が必要ないか不可能かのいずれかである】
プラトンの「メノン」からの引用だそうだ。(今度読んでみよう)
そう、こういうことだ。
独学の技法を網羅したこの本に、この項目をちゃんとつける、という感覚がいい。(でも当たり前の感覚なのかもしれない、わからない)
「私にだって知らないことはたくさんあるんですけど、」と前置きして専門的な解説ができる人、そういう、謙虚さを持った人ってどれくらいいるんだろう。
これみよがしに自分の知識をひけらかして、これが全てだと言わんばかりの人結構いないだろうか?
「いかにも知ってる風だけれど、あなたが知らないことがあるんだよ?」そのことに思い至らずに、決めつけてしまうことがなんと多いことか。
自分の内省もこめて、この探索のパラドクス覚えておこうと思う。
独学をしていると、こういうことに大体打ちのめされ、もうダメだと膝をおりそうになりながらそれでも知らなかったことを知る感動に震えて、また歩み出すことになったりする。
こうやって言語として落としてもらうだけでも視界がクリアになる。
何かを学ぶ際に私はとりあえずまず本を読もうとするので、頭でっかちになりやすい。
本の内容が全てだと思わなくもない。
中高生くらいの私はそんな感じだったし、大人になってからも、目の前のことに集中するあまり、
理解が遅くなる。
理解は遅れてやってくる。のだ。
いま、思い出したのだが、昔、どなたかが(どなたが私に言ってくださったのか忘れてしまったけれど)
「すぐ本を読もうとするんじゃなくて」ということを言っておられて、若かった私は「??」と思ったことがある。
その方はこの「探索のパラドクス」やその周辺の事柄について、頭でっかちになりやすい若い私に
「ほらほら頭でっかちになるよ」
「あなたが知らないことなんてまだまだたくさんあるんだぜ」
「まずはそこをフラットにして現場に接してみたら?」
みたいなことを実に優雅に、こちらを傷つけることなく、示唆してくださったのかな〜。と、思い至り、いまさらながら感動している。
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